Up 積の立式の論理──「順序はどうでもいいのでは?」への答え  


    以下,「順序はどうでもいいのでは?」の問い/訴えに対する答え方を示す。
    答えは,「それが数学の話なら,順序が問題になる。」である。
    そして,積の立式の論理を示すことが,問いに答えるということになる。

    先ず,「そもそも数とは?」から始めねばならない。
    「そもそも数とは?」の内容を鳥瞰されたい:
    このように,数は量に対する「倍作用素」としてつくられていることになる。
    量のいろいろに応じて,いろいろな数がつくられる。
    ここで「量のいろいろ」をいうときの「量」は,生活感覚の「量」とは違ってくる。


    「積 (×)」はつぎのように定義される:

      量qをm倍し,さらにこれをn倍したら,もとのqの何倍になっているか?
      この倍を,「m×n」と書くことにする。


    倍を記号「×」で表すことにして,式を使って言い換えれば,この定義はつぎのようになる:

      ((q × m) × n) = q× k となる k を,「m×n」で表すことにする。

    それが数学の話なら,順序が問題になる」というのは,「積」の定義で「m×n」を書くことは同時に2数の順序を定めていることになり,そして端的につぎの事実が存在するからである:

      このように定義した「積」では,一般に交換法則が成り立たない。

    実際,複素数からさらに進んだ四元数になると,積の交換法則が成り立たない。

    「積」の定義で一旦定めた2数の並ぶ順序が「実用上自由にしてよい」となるためには,この定義の後に「積の可換性」が定理として証明されねばならない。
    ところで,複素数までの「数」については「積の可換性」が成り立つ。
    そこで,「順序はどうでもいいのでは?」の言も出てくるようになるというわけである。


    順序はどうでもいいのでは?」は,規範論と実用論をいっしょくたにしていることになる。
    数学は,規範を構築する論理ゲームである。(「理論」──形式として)
    「実用論」は,このゲームの結果を回収したところでが出てくる。これは数学の埒外ということになる。