Up 有識者モンスターの構造 作成: 2011-09-19
更新: 2011-09-19


    かけ算の順序はこだわるべきものではない」を言う識者・学者は,「かけ算の順序」の数学を知らない者である。 知らないのに,「かけ算の順序はこうだ」という言い方をする。
    どうしてこういうことになるのか?

    数学教育は,<できる>と<わかる>を区別する。
    かけ算の文章題をすらすら解ける生徒が「なぜ '×' なのか?」「'×' の意味は何か?」と問われ,答えられなければ,その生徒は<できるがわかっていない>である。 実際,その生徒にとって「なぜ・なに」の問いは,あること自体思いもよらないものになる。

    これが,「できる子」「できる生徒」である。
    そして「できる子」「できる生徒」を経てそのまま大人になったものは,積の立式を「なぜ・なに」の問いをもたずにやる者になっている。
    かれらは,《この問題にはかけ算を立式する》がアタマに入っていて,理屈ではなく形式感覚でかけ算を立式する。
    このような大人が,「かけ算の順序はこだわるべきものではない」を言うことになる。


    「積の二数の順序はこだわるべきものではない」を言う識者・学者は,このタイプである。
    彼らは,自分を「積の二数の順序はこだわるべきものではない」の根拠にしている。
    すなわち,つぎのように:
    「積の立式は自明であり,考えることではない。
     実際,わたしは '×' の意味は何か?など,考えたことがない。
     そしてこれまで,ずっとうまくやってきている。
     わたしを見よ。」

    《自分を根拠にする》ができる者は,自信のある者である。
    「かけ算の順序」の数学を知らずに「かけ算の順序はこうだ」を言い,学校数学を導こうというのは,余程の自信家である。
    この自信を持てる者は,やはり識者・学者という人種に限られてくる。