「意味」に対する無頓着  


     “数とは何か?”と尋ねられて困るのは,子どもだけでなく,教師も同じでしょう。
     わたしたちは,いままでに,“数とは何か?”というように改めて考えたことがありません.だからこのような質問を受けると面食らってしまいます。
     この場合,“改めた考えたことがなかった”ということは,“改めた考えさせられたことがなかった”ということと,同じでしょう。

    “数とは何か?”を知らないままの数の使用は,早晩行き詰まります。

     例えば,“量計算に分数計算が使えること”を分数計算の指導の目標に据えるとき,“数をこんなふうに操作する”式の指導では,この目標に到達できません。やはり,分数計算が量計算として成立する理屈を扱うことになります。そしてこれは,“数とは何か?”の指導に他なりません。

     現行は,“数とは何か?”の主題に対しかなり及び腰です。実際,分数の四則計算の導入は,都合的な図に都合的な理屈を立てて済まされます。現行は,子どもが

      《“それの 2/3 が 5/6kg になるような重さ”を求める計算は,5/6×3/2 あるいは 5/6÷2/3 になる》

    を説明できるようになることを要求していません。式を立てて計算できることでよしとしています。

     成長するにしたがって理屈がわかるようになるというのであれば,現行の指導でも構わないでしょう。しかし,理屈は大人になってもわからずじまいというのが,現実です。(また,理屈がわからないために学習が破綻し,「数学離れ」になったりします。)“理屈ではなく形式感覚で計算する”というのは,子どもに限ったことではありません。