Up 「1と見る」は,「数は量の抽象」主義の満足のため  


    「割合の問題」を解くにおいて,「1と見る」は無用である ( <倍の合成>を構造とする問題の解法)。
    しかも,<量と数の区別>が<数の身分の区別>に移されることで,数の身分の区別を読み切る力のない者には,その問題はまったく混沌としたものになる (「1と見る」がもたらす混沌)。

    「1と見る」は,問題解決を回りくどくする (わかりにくくする)「儀式」でしかない。
    では,なぜこの「儀式」が行われるのか?
    数を量の抽象ということにしたいからである。
    「数は量の抽象」の世界観の満足のために,<倍の合成>(これを構造とする問題の解決) の授業が数学の授業でなくなり,そしてこれの没論理に学習者が付き合わされる。

    「数は量の抽象」は,数学ではない。
    数学の方法はというと,それは線型空間論に範が示されているものになる。 すなわち,1次元のときのスカラとベクトルは,それぞれ数と量に対応するものになる。スカラはベクトルに対する作用素として,ベクトルの「比」を表す。そして,スカラはベクトルの抽象ではない──もしそうだとしたら,スカラはベクトルであり,線型空間論は壊れる。