Up 「数の積は量の積の抽象」 作成: 2010-12-13
更新: 2010-12-14


    「数は量の抽象」とするとき,数の構成要素を一々量を構成するものの抽象としなければならなくなる。 特に,数の積は,量の積の抽象として説明しなければならない。

    数の和であれば,量にも和があるのでなんとか強引に説明をつくれる。 しかし,数の積の場合は,量には積がないので困ってしまう。 例えば,時間同士の積を実体概念として立てるのはつらい。

    そこで,「量には積がある」ではなくて「量には積の立つものがある」というふうに変える。 例えば,「速さと時間の積があり,そしてそれは距離である」を用いる。 そして,数の積はこのような量の積の抽象であるとする。

    これに対しては「このときの積の意味は何か?」が問題になりそうだが,唯物論というのはつぎのように応じることができるのである:
     量の積は現前であり,思考はこれを所与としなければならない──量の積は公理である。
    積の意味を考えるのは,数の積を先に考えてしまっているからである。
    量の積は,唯物論の目によって直観しなければならない。
    (直観できないのは,思想が悪いのである。)