Up <学生>がどんなかがわかる 作成: 2014-12-10
更新: 2014-12-10


    「数学教育学専門」の修行は,「<学生>がどんなかがわかるカラダ」づくりを含む。
    このカラダをつくる方法は,「学生をもつ」である。

    <学生>がどんなかがわかることは,「教える」がどんなことかがわかることである。
    そして,「教える」がどんなことかがわかることは,学校数学の現前の重さがわかることである。
    即ち,学校数学の現前が「成るべくして成る」の現象であることがわかる。

    そしてこの認識をもてば,思いつきの「学校数学の改善」は,言わないものになる。
    「学校数学はせいぜい/やはりこのくらい」の考え方をもつようになる。

      註 : 「学校数学はせいぜい/やはりこのくらい」は,諦観ではない。
    科学である。