Up | 哲学 | 作成: 2014-12-03 更新: 2014-12-12 |
このような主題にアプローチしようとするとき,その論考は「哲学 (存在論)」と呼ばれる。 こうして,哲学 (存在論) の素養をつけることが,修行項目になる。 「哲学」への対し方は,「真理を探る」ではない。 一つに,「人の思考の癖──癖のいろいろ──を知る」である。 実際,「哲学」は多様である。 また一つに,「<達観>のレトリックを参照」がある。 この目的では,わたしの場合,つぎのテクストを特に挙げることなる: ただし,哲学 (存在論) の論考は,今日の科学と無縁の体(てい) であれば,見劣りするばかりである。 また,哲学 (存在論) の現状も,煮詰まり状態である。 独自の領域を見いだせなくなり,過去の哲学者の瑣末な情報の収集・考証に明け暮れている感がある。 哲学 (存在論) については,修行項目としての地位を今後ますます低下させていくであろうことに,留意する必要がある。 『「系−個」存在論』 |