Up 新奇な教材の提起で自己主張 作成: 2017-09-03
更新: 2017-09-03


    「数学教育学者」は,当たり前のことを言っていては,存在理由が立たない。
    彼らは,新奇を提起することを自分の存在理由にする者になる。

    「当たり前のこと」とは,「わかる授業」を課題にすることである。
    学校数学で,生徒は学習困難の状態にある。
    教員は数学の授業・わかる授業ができない。
    数学教育の課題は,この状況をどうにかすることである。

    しかし,新奇の提起を自分の存在理由にする「数学教育学者」は,新奇な教材の提起で自己主張する者になる。
    これは,《教授/学習が困難な状態の現行教材に,このうえさらに新奇教材を加える》の絵図になる。
    当然,その論は空回りの論になる。
    ──実際少なくともこの場合は,空回りで終わってくれないと困るわけである。