Up | べき論は,「研究」ではない | 作成: 2017-08-28 更新: 2017-09-01 |
彼らが数学教育学に求めるものは,<説明>である。 数学教育学は,「こうであるべき」の<指示>を求める先ではない。 べき論は,数学教育学に属さない。 べき論が数学教育学に属さないのは,それが「最善」──すなわち「最適」──の先取をするものだからである。 科学だと,「動的であり進化する数学教育」を理解・説明しようとする。 「動的であり進化する」は,鳥の集団飛行のパターンがそれである。 その鳥の集団飛行のパターンは,「最適」の実現ではない。 鳥の集団飛行のパターンは,システムのダイナミクスの表出である。 科学は,システムのダイナミクスを理解・説明しようとする。 この理解・説明のなかに「最適」のことばが入り込む場所は無い。 システムのダイナミクスに「適応」のことばを用いる余地はあるかも知れないが,しかしその「適応」は「最適」の実現ではない。 それは,どこまでも「暗闇の中の跳躍」(註)である。 しかも,べき論はただ空回りするものである。 べきは,ボトムアップの形でもトップダウンの形でも実現しない。 なぜ実現しないか。 数学教育は,複雑系だからである。 べきの言う通りになびくものではない。 そもそも系は個とは異なる階層のものであるし,そして個にしても多様である。 べき論は「数学教育研究」として受け入れられているが,科学の「研究」ではなく,政策論である。 なぜ政策論か。 「べき」を以てこれを実現するのは,トップダウンの強権である。そして強権発動の根拠は, 「政策」である。 政策は実現しない。 これは,「べき論はただ空回りする」の言い換えである。 実際,政策は,実現するのがよいのではなく,空回りするのがよい。 ──空回りが「経済が回る」ということである。 べき論は,数学教育学に属さない。 ただしこれは,べき論が数学教育学の主題にならないということではない。 べき論は,メタ論にすることで数学教育学の主題になる。 ──「数学教育は複雑系であるから,べきは実現されない」「べきが実現されるのは,数学教育がこんな系になっている場合である」のように。
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