Up 本テクストの理由 作成: 2023-10-05
更新: 2023-10-05


    本テクストは,読者として,数学を勉強している/してきたひとを想定する。
    「ホモロジー群」の主題は,数学の素地が一定程度あって入ることのできるものである。


    「ホモロジー群」を勉強するところは大学の数学科ということになる。
    そしてそこは,学生が「ホモロジー群」からドロップアウトするところである。
    なぜか?
    授業が「ホモロジー群」を教えるものになっていないからである。

    教員は,教えているつもりで授業しているのでは?
    そうである。
    しかし,<教えているつもり>は,<教えている>ではない。
    数学の教員は,だいたいが<教える>を知らない。
    さらにいえば,数学ができる者ほど<教える>ができない。

      これは,「ディレンマ」の問題である。
      数学の脳力があることは,<わからない>がわからないことである。 よって,<教える>ができない。
      <教える>ができるのは<わからない>をわかっているからだが,<わからない>がわかっているとは,数学ができないということである。


    というわけで,「ホモロジー群」がわかるテクストを試すことにした。

    数学がわかるテクストの要諦は,<冗長>である。
    ひとが何かをわかることは,その何かの<冗長>を通じてわかるのである。
    相手の使っていることばの意味がわからないとき,「ちょっとパラフレーズしてくれないか」と頼むことになるが,その「パラフレーズ」の意味は「冗長化」である。

      人間は,ビッグデータを食って,概念を獲得していく。
      AI には,これをさせている。

    一方,<冗長>は,数学の理論構築が斥けるところである。
    数学を教える大学教員は,このスタイルに慣らされている。
    よって,授業もこのスタイルでやってしまう。

      いまは少しはマシになっているのだろうが,昔の大学の数学の授業は,定義と定理の繰り返しであった。
      数学の理論構築をそのまま授業にしていたわけである。

    また,<冗長>が実現されない理由には,つぎのこともある:
        <冗長>は贅沢
    実際,紙媒体のテクストは,コストの関係から<冗長>をやれない。


    しかし「<冗長>は贅沢」の問題に限れば,これはデジタルの時代には解決される。
    <冗長>の贅沢は,やろうと思えばいくらでもやれる。

    本テクストの理由は,<冗長>の実現である。
    わかるために必要な<冗長>をやってみよう,というわけである。

      と,威勢よく言ってみたものの,実際どこまで行けるかは不明。
      なにぶん,目がダメになってきた。
      添字だの記号だのが細々してくる数学のテクストは,つくるのが一苦労なのである^^;