Up | 「テンソルとは何か」の学習テクストが無い | 作成: 2017-12-10 更新: 2017-12-10 |
そもそも学習テクストがない。 きちんと書いているのは数学のテクストだが,これは形式としての「テンソル」の論で終始する。 この形式の意味──「これは何のためか」──が書かれていない。 (ちなみに,数学の「テンソル」は,ブルバキの『代数学』にこれの最も整った定式化を見ることができる。) テンソルは,使い道があるから概念になっている。 使い道がわかることが,意味がわかることである。 テンソルを使っているのは,物理学や工学である。 では,物理学や工学のテクストに「テンソル」の学習テクストがあるかというと,これが無いのである。 物理学や工学では,「テンソルがわかる」は「慣れて使えるようになる」といったふうである。 この ひとは生活の中で数の計算をふつうにやっているが,「数と何か」「計算とは何か」と問われると答えることができない。 「テンソル」事情は,このようなものである。 とはいえ,学習テクストは,形式に程よく厳密でないと用を足さない。 形式は,実用の学習にとってどうでもよいものではない。 ひとは,理屈がわからなくなると,そこで頓挫する。 理屈がわかるとは,形式がわかるということである。 翻って,学習のこの機微のわからない者には,学習テクストはつくれない。 なぜ本テクストをこのような話から始めるのか。 それは,学生とは,わからないとそれを自分のせい (「自分はアタマが悪い」) にするものだからである。 「教授がなっていない」という思いを持てなくで,自分で勝手にドロップアウトしてしまう。 そこで彼ら──本テクストの読者──のために,最初に,
──そもそも学習テクストがない」 |