2.2.3 量の生起



 われわれは“はかりで量を測る”という言い回しをするが,これを文字通りに受け取れば,量がはかり以前にあることになる。しかし,量をはかり以前のものとして想定するのは,形而上学(イデア論)である。

 量は,《はかりの上の現象に量が読まれる》という形で,測定によって生起する。

 はかりとは,先ず,はかりにかけられるモノ(事態)に対して,(量が読まれるところの)現象を現わす装置のことである。

 はかりはこのような装置であることの上で,
  1. “一つの量(大きさ)”として読まれることになる差異化(註)可能な現象を各モノに対して一意的につくり出し,
  2. 差異化される個々の現象に名を与え,
  3. このことによって個々の現象を特定させる
装置のこととなる。

 はかりの上の現象の身分は,モノの記号である。そして記号は,それ自体で──即ち,モノから独立して──ひとにとっての存在になる。そして,このときひとがする(してしまう)ことは,《記号》に対する,《モノの記号》から《量(大きさ)そのものの記号》への読み換えである。

 モノとそれの記号──それをはかりにかけたときのはかりの上の現象──の対応は,論理的に,多対一である。したがって,モノとそれの量(大きさ)の対応は,多対1である。



(註) 量(大きさ)が量(大きさ)としてあり得るのは,他の量(大きさ)と異なるという形で対立する限りにおいてである。実際,量(大きさ)としてわれわれにとって存在するものがただ一つ(例えば1mの長さが唯一)である場合,それは量(大きさ)である必要はない。