11.5.4 単位共同体の弁証法
公的な単位を私的な単位の延長として捉えさせることも,指導内容の一つになる。但しこのとき,公的な単位の登場のストーリーを勝手に作り上げることは慎まねばならない。公的な単位の登場という事態は,論理とか合理の規準から導き出せるものではない。
単位共同体の揺らぎは,論理的には,共同体それ自身の基盤の変質とか,他の単位共同体との接触という事態によってもたらされる。
このうち,異なる単位を擁する他の単位共同体との接触は,〈単位の換算〉というインターフェースを通して行なわれる。そして,これはこれで生活実践として定着し得る。ここにはまだ,《単位の共有》ということへの直接の契機は見出せない。
即ち,《単位の換算》から《単位の共有》への移行は,一つの飛躍であり,この飛躍の契機を,いまの段階での《単位の換算の煩瑣》に求めることは無理である。
単位の共有の一つの形態は,一方の共同体にによる他方の共同体の併呑,あるいは,一方の共同体への他方の共同体の参入である。このときには,“強制”とか“力”とか“権威”とかが,キー・タームになる。
単位の共有の別の形態は,純粋に《交流の円滑化》を目的としてなされる単位の共有──共有されるべき単位の設置──である。これは,《将来の先取り》という意識でなされることもある。しかしそうでなければ,複数の単位の共存という事態が交流を難しくしているという事実が現にある,ということをそれは示している。
単位共同体の拡大には,論理的に,ゴールはない。