7.1 絵



 われわれは,数/量の“イメージ化”を試みることがある。数/量の“イメージ”は,実在のレベルでは,何がしかのモノ(事態)Xである。そしてXが数/量の“イメージ”であるとき,そこにはXの読み方が同時に与えられていることになる。この読み方は,X自身が喚起するものではない。Xに対する読み方は,Xの外にある。

 “読み方が与えられているモノ”の概念を表わすことばとして,以下“絵”を使うことにする。

 絵は,読み(ことば)を伴うモノであり,モノと読みの対である。但し,読みが約束として了解されていれば(特に,絵とその読みが慣習化していれば),読みの明示は省略できる。このとき,絵は約束の上で保っている。約束が知られていなければ,それはモノに還る。

 モノはそれに“数/量”が読まれるとき,結果論として“数/量の表現”になる。また,数/量の表現として一旦捉えられたモノは,数/量の絵とすることができる(註)。しかし絵は,このような結果論としての“表現”ではない。絵は,はじめから表現が意図されているところのものである。

 絵は,論理的対象である。即ち,対象としてのそれは,数/量が考えられている論理の中のことばと等価である。ことばと等価であるのに絵がことさらに作り出されるのは,あくまでも思考との相性の良さ,あるいは思考の便宜──ことばの操作は,絵の操作の形で行なうと楽になることがある──のためである。



(註) 例えば,日差しに応ずる棒の影の移動は,それに時刻/時間が読まれることで時刻/時間の表現になる。そしてこれに対しては,“時刻/時間の絵"(“日時計")の読み換えを──しようと思えば──できる。