Up | はじめに | 作成: 2018-01-18 更新: 2018-01-18 |
マスコミ/大衆は,「‥‥である」が欲しい。 そこで「‥‥である」のきっかけを求め,「‥‥と思う」の言を得たらそれを「‥‥である」に変えるわけである。 宇宙モノのここしばらくの話題は,「重力波」である。 「重力波が検出された!一般相対性理論が予言した重力波はホントだった!」というわけだ。 しかし,「重力波の信号の大きさは,地球・太陽間程度の距離をたかだか水素原子1個分動かす程度」となると,その検出話には「ホントかね」で返すのが道理である。 実際,そのような微小の揺らぎでは,それが何によるものかなどわからない。 しかも,検出施設の構築・運用に莫大な経費がかかっていれば,成果を出さねばのプレッシャーから,「見たい」と強く願うものを見るようになるのである。 「重力波の検出」は,学会での学会員の拍手で承認された。 実際,「重力波の検出」が承認される形は,この形以外にはないわけである。 マスコミ,そして政治経済を巻き込んだこの大きな「共犯関係」に取り込まれないためには,「重力波」のもとになっている『一般相対性理論』がどんなものかを,自分で押さえるしかない。 というわけで,『相対性理論』のテクストにあたってみることにした。 しかし,『特殊相対性理論』から『一般相対性理論』に移ると,テクストの中の「相対性」がなにやらあやしくなる。 「何と何のどんな相対性」がはっきり示されないのだ。 この根っこは, 『一般相対性理論』が空間の数学モデルにしている「リーマン多様体」の捉えが生半可なことにある──と判じた。 そこで,「リーマン多様体」を押さえることにした。 しかし,「リーマン多様体」のテクストも,なんかあやしい。 「多様体」の構造が明確に示されないのだ。 「多様体」の話とつながっていないのである。 これは,意味の捉えが生半可であり,そして記号ゲーム三昧がこのことを隠蔽している様である──と判じた。 そこで,「リーマン多様体」の意味に立ち返るテクストを自分でつくってみるしかない,となった。 巷の「リーマン多様体」のテクストは「多様体」の話とつながっていない というわけで,このテクストである。 |