Up 授業を見せていただき,ありがとうございました」か? 作成: 2010-10-13
更新: 2010-10-14


    先日,研究授業を参観してこれの反省会に臨んでいる学生に対し,つぎのことが指導される場面に出会った:
      反省会で意見を言うときは,最初に「授業を見せていただき,ありがとうございました」を言うのがマナーである。
    改めて振り返ってみると,研究授業の反省会ではこのことばがよく出てくる。 学校現場ではマナーとして定着しているのかも知れない。

    しかし,このことばは奇異である。
    実際,「授業を見せていただき,ありがとうございました」は,<見せてやる授業>に対することばである。 そして研究授業は,<見てもらう授業>である。
    ありがとうございました」は,授業者の方が言うことばになる:
     本日は,自分のつたない授業を見ていただき,ありがとうございました。
     忌憚のないご意見をよろしくお願いいたします。」
    <見てもらう授業>であるから,「授業を見ていただき,ありがとうございました」になるわけである。
    そして,一般参加者の発言の切り出しは,「忌憚のないところを言わせていただきます」が適当である。

    一般参加者がよい授業に出会えたことに感動し,授業者に感謝を述べるとき,「よい授業を見せていただき,ありがとうございました」のことばが自然に出てくるが,これは,ここで問題にしている「授業を見せていただき,ありがとうございました」ではない。 「よい授業を見せていただき,ありがとうございました」は,「たいへん勉強になりました,感謝します」である。 一方,「授業を見せていただき,ありがとうございました」は,授業の良し悪しに関係なしである。

    一般参加者は,研究授業の出来がどうかとは別に,授業者に対する礼儀として,慰労のことばを何かかけねばならないという思いになる。 ここで肝心な点は,「研究授業の出来がどうかとは別に」というところである。 出来の悪い授業に対しお世辞のようなことを言うのは,かえって無礼である。 そこで,何と言えばよいか?となって,「授業を見せていただき,ありがとうございました」に落ち着いたのであろう。

    この現象に見るべきは,《授業者と一般参加者の役割についての割り切りができていない》という事実である。 授業者に対する礼儀として慰労のことばを何かかけねばならないという思いをもってしまうことが,間違いなのである。
    授業者は慰労のことばを期待してはならないし,一般参加者は授業者が慰労のことばを必要としていると思ってはならないのである。