- 自己採点は甘くなる
- 当人は,「いい授業」を設計し,「いい授業」をしようとしています。
したがって,設計した授業が意図通りにできたとき,「いい授業ができた」となり,意図通りにできなかったとき,「いい授業ができなかった」となります。
- その当人に抜けているのは,
自分の考える「いい授業」は,そもそもろくでもないものかも知れない。
という形で自分を客体化する視点です。
- 授業の良い・悪い,授業がうまくいった・いかないの評価は,その人の経験値に依存して,まったく違ったものになります。(「学力」の意義)
- 最近は,周りも批判を遠慮する
- 教育実習は,「研究授業とそれの反省会」という形で締めるようになっていますが,近頃は,反省会でまともな授業批判が行われることはほとんどなくなりました。
実習生にしてみると,ずいぶん批判されたように感ずるかも知れませんが,それは批判されること (叱られること) に慣れていないからです。
- 実習校の教員にも,実習生の授業を批判しにくい理由があります。その授業を批判することは,その授業を指導した同僚の教員を間接的に批判することになるからです。
- この事情は,実習生を送っている大学の教員においても同様です。現に,「実習校で反省会に臨むときは,批判的なことばを慎むように」という「指導」が,大学の中で教員に対し暗に行われます。実習校側からの反発を招くことがあるからです。
- というわけで,最近の反省会は,「いいところさがし」のような感じのものが多くなっています。批判的なことを言おうとする場合には,9褒めて1批判するというようになります。
註: |
批判がなくなってきたのは,社会全般の傾向です。教員の研究会でも,批判はめっきりなくなりました。 |
- で,学生は勘違いしてしまう
- 授業評価の仕方が学生の場合ずれてしまうのは,経験が浅いというかまだ無いのですから,仕方ありません。
しかし,これがきちんと批判されることがないというのが,問題です。
- いいことか悪いことか,近頃は実習生も反省会では「‥‥先生」と呼ばれます。
本来は,生徒に対する都合から「先生」と呼ぶわけですが,反省会でも「先生」と呼ぶのは,「先生」の自覚をもってもらうという計算からでしょうか。
ただし,学生の方はこれをどのように受け取っているのか?──「(もう十分に)先生」と認められたわけではありません。くれぐれも勘違いのないように。
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