Up 技術論ではなく,カラダづくり 作成: 2008-03-22
更新: 2008-03-25


    「卒論/修論」という課題への取り組みは,カラダづくりが目的である。
    この場合の論文作成は,手段であり,論文という形が目的なのではない。

    繰り返すが,カラダをつくることが目的である。
    体裁で論文をつくっても,カラダをつくっていないのでは,何にもならない。
    論文作成は技術論ではない。


    どんなカラダ?
    一面をいうと,つぎのことができるカラダ:

        <達成>をゴールとする長期作業

    実際,「卒論/修論」は,<達成>をゴールとする長期作業として課される。
    この作業の実践が,力の陶冶と並行する形で進む。


    <達成>をゴールとする長期作業ができる力とは,地道なことをコンスタントに続けられる力。 この力の陶冶は,アスリートがやっているトレーニングと同じと思えばよい。

    特に,「卒論/修論」指導は,アスリートのコーチがトレーニングメニューを課すのと同じ。 体力づくりが,このメニューの中心である。


    「卒論/修論」は<達成>をゴールとする長期作業として課され,そして卒論/修論の完成がこの場合の<達成>になる。 したがって,卒論/修論を完成できなかったときは,「不合格」の評価になる。

    整理:
    「卒論/修論」の課題に取り組む目的は,カラダづくりであり,卒論/修論の形づくりではない。
    「卒論/修論の完成」は,「目的」ではなく「<達成>の規準 (criteria)」である。