Up 主題のとらえが,いちばんの難題 作成: 2009-08-04
更新: 2009-08-04


    教えるときは,自分の持っているものを教える。
    持っていないもの・僅かしか持たないものは,教えられない。
    無理して教えようとしても,ことばが出ない。
    無理してことばを絞り出せば,それは嘘を言うものになる。
    ことばを出すところで四苦八苦しているので,まったくコミュニケーションにならない。

    そこで,教えることができるためには,先ず,教えるものをしっかり持たねばならない。 これは,数学の学習に取り組み,数学のある程度の修得に至るということである。
    しかし,これがいちばんの難題になる。

    すなわち,数学の修得には時間がかかり,そしてひとは時間がかかることに我慢ができない。 「こんな遅々とした進行では,らちがあかない」という思いになり,「なにか近道はないか?」とフラフラし出す。
    しかし,近道というものは無い。
    よって,「なにか近道はないか?」とフラフラし出せば,ずっとフラフラしたままになる。


    一方,教員は,さほど授業に苦労していない。
    苦労していないのは,自分の持っているものを話しているからである。 すなわち,教員は,小中高の生徒をやってきていまのカラダに入っているところの「数学」を話している。
    この「数学」を話すことが数学の授業になるのなら,幸いである。 しかし,そうはならない。
    だが,教員は,自分では数学の授業をやっていると思っている。 「知らぬが仏」というわけである。 ──実際,数学に出会うことで「知らぬが仏」が壊されるとき,教員は授業に苦労することになる。

    教員養成コースは,学生を数学に出会わせる。 本来なら,学生は「知らぬが仏」を壊され,授業づくりに苦労する者になる。
    しかし,教員養成コースは,概して,教科専門性に関してはぬるい。 「広く浅く」の考え方が根強い。指導法の考え方にしても,内容フリーで指導法を考えるタイプの方が優勢である。
    よって,多くの学生が「知らぬが仏」を壊されないでこのコースを終える。 彼らは,授業に苦労しない教員になる。