Up 要 旨 作成: 2012-12-24
更新: 2013-01-15


    教員には,数学の授業をする力が無い。
    即ち,学習主題になっているのは数学であるが,主題研究としてこの数学を押さえることができない。 当然,授業構築もできないことになる。

      授業構築は,「理に適った授業構築」として実現することになる。
      「理に適った授業構築」は,数学のロジックの捉えの上に成り立つ。
      学習主題の数学が押さえられていなくては,授業構築はできない。

    教員に数学の授業をする力が無いのは,これまでその力を培ってきていないからである。
    そしてその力をつけるために要する長い修業は,教員の負えるものではない。

    算数科・数学科の授業で教員に活動的になってもらうためには,数学の授業をする力が無いことを隠してやらねばならない。
    「数学」を言ってやることは,方法の一つである:
     「 算数科・数学科の授業は,「数学教える」をやるのではない。「数学教える」をやるのだ。
    授業目標とする<できる・わかる>は,数学の<できる・わかる>ではない。
    そして,子どもがその<できる・わかる>に到達していれば,すばらしい授業ということだ。

    「子ども中心」を言ってやることも,方法の一つである:
     「 主題研究や理に適った授業構築は,現実に問題とはならない。
    子どもが活き活きしていれば,すばらしい授業ということだ。

    教員を景気づけるやり方は,できないことは突きつけることをせず,「工夫次第でできるようになる」を示唆してやることである。
    「工夫次第でできるようになる」の示唆は,授業を「授業のコツ」の賜として示してやることである。
    「授業のコツ」を伝授しようとする者は,そこかしこにいる。 よって,救いを「授業のコツ」に求めることにすれば,「自分は救われる」の思いをいつも持っていられる。

    教員は,自校や地域等において,研究・実践課題を持たされる存在である。
    この研究・実践課題の意味は,教員をせっせと動かすことである。
    すなわち,教員を景気づけることであり,景気対策である。

    授業学習会/研究会の意味も,これと同じである。
    教員を景気づける装置であり,景気対策である。