Up 学校数学は進歩しない 作成: 2012-12-26
更新: 2012-12-26


    学校数学は歴史が長い。 そこで,もし学校数学が進歩するものなら,この間ずいぶんと進歩していなければならないはずである。
    事実はそうではない。
    学校数学は進歩するものではないということである。

    ひとは,歴史に「進歩」を見たがる。
    しかし,歴史は,右肩上がりの上昇運動ではない。
    攪乱と均衡回帰の繰り返しである。
    この変動に<意味>や<価値>はない。
    ただ変動すべく変動しているだけである。

    変動しているものは,系である。
    変動は,系の含意である。
    系が現前しているとは,変動しているということである。

    学校教育は,<生きる>系である。
    <生きる>は,<運動>を含意している。
    この運動は,「進歩」ではない。
    攪乱と均衡回帰の繰り返しが観察されるのみである。

    ひとは,教育を,進歩すべきものとする。
    進歩がないのは,非難されるべきことであるとする。
    この考えのおおもとには,「進歩」を善とし「進歩しない」を悪とする考え方がある。
    しかし,もともと,人・社会・自然に進歩はない。

    人・社会・自然は,運動する。
    人・社会・自然は,ただ運動する。
    自身の存る形として──それ以上でも以下でもない形として──運動する。

    学校数学は,運動する。
    学校数学は,ただ運動する。
    自身の存る形として──それ以上でも以下でもない形として──運動する。
    その運動は,同じ道を行ったり来たりの運動である。