Up | おわりに | 作成: 2014-02-01 更新: 2014-02-03 |
ああなるのみだから,ああなのである。 実際,算数の授業は,ずっとああである。 何もしてこなかったからずっと変わらない,というのではない。 ずっと「改革」が唱えられ,「改革」の実践が起こされ,そして変わらないのである。 ──「改革」が成り立つものなら,とっくに他の形に変わっている。
若い世代は,「変わらない」の歴史を知らないので,「改革」に飛び込む。 かつて「改革」に飛び込んだ旧い世代は,「改革が教育を変える」みたいのはウソなんじゃないかの思いをもつふうになり,「改革」の傍観者を決め込む。 「改革」をビジネスとしている者は,「いまこそ改革の時」のラッパを吹き続ける。 この風景は,ずっと変わっていない。 「算数の授業は, 「改革」込みで,変わらない」ということである。 ここで,見方を転じる。 「変わらない」は,「至っている」である。 これが,本テクストの,「算数の授業」を見る立場である。 注意すべき点として,「至っている」は「総体として,至っている」である。 総体の要素は,デコボコであり,デコボコの運動である。 総体としての「算数の授業」に対し,個々の「算数の授業」がある。 この区別が重要である。──実践的に重要である。 こうして,「算数の授業」の評価は,つぎの2通りである: すなわち,Aを「II. 算数の授業はなんでああなのか (「算数の授業」)」で論じ,Bを「III.「算数の授業」の評価法 (「評価作法」)」で論じた。 |