Up 「達成」を問うことが,生徒の側に立つこと 作成: 2014-01-29
更新: 2014-01-29


    授業の評価は,授業者の受容と授業に対するダメ出しである。
    ──受容とダメ出しは,矛盾しない。

    下手な授業は,授業者を「ベスト・エフォート」として受容する一方で,下手は生徒被害であるから,授業にはダメ出しする,という形になる。

    こだわりと上手下手の関係は,「<こだわりでやったことのうちに,上手下手がある」である。 《こだわりを受容し,下手にはダメ出し》が,授業評価の形になる。

    そこでつぎは,授業の評価作法である:
      「生徒の側に立つ」

    現前の「算数の授業」は,全体ではよくもわるくもならない。
    即ち,下手上手のデコボコを全体でならしたところでは変わらないとなるところの,確率的現象である。
    しかし個人は,全体として生きるわけではない。
    個は,自身の<生きる>をやり,自分の授業に対するダメ出しを成長の糧にする。
    そこで,授業の評価作法の「生徒の側に立つ」は,つぎと同じである:
      「授業者に成長の糧をやる」

    「上手下手」の規準は何か?
    「達成」である:
      《その授業で,生徒に何か「達成」があったのか?
       「達成」があれば,それは何か?》
    授業は,結果である。