Up 「算数の授業」は,保(も)たない 作成: 2014-01-27
更新: 2014-01-30


    「算数の授業」は,中学数学,高校数学とつながる。
    「算数の授業」の評価は,学校数学全体のスパンで考えるものになる。

    このとき,「算数の授業」は,将来の破綻を用意するぐあいになっている。
    その破綻は,「生徒が数学の授業からドロップアウト」である。

    数学の授業からのドロップアウトは,つぎの2つが理由である:
    1. 没論理が,論理として教えられてきた
    2. 数学の勉強に耐えるカラダが,つくられてこなかった

    A. 没論理が,論理として教えられてきた
    数学は,論理体系である。
    算数の没論理には,没論理を重ねることになる。
    これは,続かない。
    実際,没論理は,<わかる>が無いわけであるから,生徒はこれを飲み込むのみである。 そして,飲み込むのがだんだんたいへんになっていく。
    そして,ギブアップになる。
    「授業からドロップアウト」というわけである。

    B. 数学の勉強に耐えるカラダが,つくられてこなかった
    算数が<数学の勉強に耐えるカラダづくり>であるとき,それは「耐える算数」である。 そして,「耐える算数」は,学校教育にならない。
    学校教育になるのは,「楽しい算数」である。
    実際,学校では「楽しい算数」が行われる。

    「算数の授業」は,将来の破綻を用意する。
    一方,小学校教員は,「算数の授業」に自足している。
    この自足は,「将来の破綻は,中学数学・高校数学の責任である」ということになる。。
    しかし,事実は,破綻は算数のところではまだ顕著にならずに済んでいる,というだけのことである。

    そこでつぎは,「算数の授業」の評価作法である:
      「将来の破綻のもとがそこでつくられていることを,見逃さない」