Up | 序 | 作成: 2014-01-29 更新: 2014-01-29 |
算数の内にいる者からは,出て来ない。 算数の授業の「ああ」は,外から見えるものであって,内からは見えないからである。 自分の国のことは,自分の国の中にいてはわからない。 国の外に出て,その外から自分の国を見るとき,自分の国が見えてくる。 そしてこのとき,「自分の国ななんでああなのか」の題を立てることになる。 わたしは,「学校教員養成課程数学教育担当」を生業(なりわい) にしている者であるが,自分の経歴/遍歴がもとで,算数に対してはずっとこれの外にいることになった者である。 したがって,わたしにとって,算数の授業を考えることは,
「授業がああなのは,授業者がどんなだからなのか」 わたしはこのスタンスを,自分の生業においてわりと得なものと見なしてきた。 実際,このスタンスをとれてきたことを,自分の経歴/遍歴の「結果オーライ」にしてきた。 本テクストは,算数を担当している小学校現職教員を直接の対象にして,「算数の外」があることを示そうとするものである。 「算数の授業は,なんでああなのか」という題の立て方があることを,示そうとするものである。 自分の国のことは,自分の国の中にいてはわからない。 国の外に出て,その外から自分の国を見るとき,自分の国が見えてくる。 |