Up 「ジタバタ」立論の必要 作成: 2014-02-19
更新: 2014-02-19


    算数の授業は,<教える>では保たない。
    <遊ばせる>になるのみである。
    そして,「算数の授業」は,<遊ばせる>になっている。

    一般に,現前は,系の解 (solution) である。
    算数の授業の現前が「算数の授業」だということは,「算数の授業」が算数の授業の解だということである。
    そこで「算数の授業」の理由づけの問題に進む。
    これは<遊ばせる>の理由づけであり,本テクストは「元気を養う」を立てた。

    一方,<遊ばせる>は,無条件に「元気を養う」であるとするわけにはいかない。
    確かに,「元気を養う」を程度問題にすれば,<遊ばせる>は「元気を養う」であるということもできる。 しかし,このように言うことは,教育は要らないと言うのと同じである。

    そこで,<遊ばせる>が「元気を養う」であるための規準 (criteria) が,問題になる。
    本テクストは,生徒の「ジタバタ」を規準にしようとする。
    即ち,つぎを立論しようとする:
      《「ジタバタさせる」が,「元気を養う」の形である》

    「ジタバタ」の言い回しは,「負荷」と「主体的」が要点であることを言うためである。
    「負荷」を負わせ「主体的」にそこを通過させることが,「元気を養う」の形である。