Up 授業成立を期す相 : 要旨 作成: 2014-02-11
更新: 2014-02-11


    算数は普通に授業すれば,即ち,数学の小学生仕様として算数を授業すれば,どれほどの生徒がこれについてくるか?
    ついていかねば困ることになるかも」を思わなくて済むとき,どれほどの生徒が算数の授業についていくか?

    算数の授業についていく・ついていかないが生徒の自由意志になるとき,多くの生徒が早々と算数から脱けることになる。
    算数とはそういうものである。
    何事でも,一定割合の者がこれに関心をもつ一方で,残りは関心をもたない。
    これが, 「個の多様性」というものである。

    算数の授業者は,こんな悠長は言ってられない。
    生徒が授業についてこないことは,授業崩壊である。

    そこで,算数の授業をするとは,授業に生徒全員をついて来させるということである。
    算数の授業者は,《生徒全員を繋ぎ止める》を「授業」として行う者になる。
    このときの授業が,「算数の授業」である。
    算数の授業者は,授業崩壊に会いたくなければ,「算数の授業」をしなければならない。

    算数の授業の中心は,生徒の学習活動を数学的主題に回収する段である。
    しかしこれは,生徒が授業から脱ける公算が大の局面である。
    よって,数学的回収の段を抜かすことが,「算数の授業」の条件になる。
    実際,「算数の授業」は,「数学的回収の段が無い」と同じに見てよい。

    算数の授業のゴールは,生徒の学習活動を回収するところの数学的主題である。
    しかしこれは,「算数の授業」のゴールにはならない。
    では,「算数の授業」は何をゴールにしているのか?

    「算数の授業」は,生徒の「興味・関心」をつくり,そしてこの「興味・関心」の充足をゴールにする。
    どういうことか?
    例えば,「AとBはどちらが大きい?」を,生徒の「興味・関心」に仕立て,そして生徒を「AとBはどちらが大きい?」の解を求める学習活動に入らせたとする。
    数学の授業であれば,この学習活動の回収は,つぎのようになる:
      この問題の解を求める過程で,一つの見方・考え方「P」に到達した。
      「P」が,実は今日の授業の主題である。
      君たちに課した作業は,「P」に到達するための方便であった。
      実際,問題の解はAであったが,解自体はどうでもよいものである。
      そこでこれより,他の例・いろいろな例で,「P」を練習してみることにする。
      「P」を観ることとこれを身につけることは,まったく違うことであるからだ。
      身につけるためには,練習がいっぱい必要になる。

    一方,「算数の授業」は,つぎのようになる:
      問題の解はAでした。
      一件落着。
      そして,ちょうど終わりの時間になりました。
    授業者にとって,この授業は「P」の授業である。
    即ち,「算数の授業」の授業者は,つぎのように考える者である:
      《授業の中で「P」を言っていないが,
       生徒はこの授業で「P」を学習している。》