Up 数学的回収の先延ばし 作成: 2014-02-09
更新: 2014-02-09


    授業は,生徒はこれから脱けることができる。
    授業成立は,生徒がチャンネルを切らないでくれるかどうかにかかっている。
    そこで,《生徒全員を繋ぎ止める》を命題にする算数の授業は,1時間のニュース番組が番組中視聴率百パーセント維持を強いられたふうに,自分をなしていく。

    このニュース番組は,簡潔・的確にニュースを伝えることは,やってならないことである。 時間を保(も)たせられないからである。
    そこで,何が起こったかをすぐに言わないようにする。 引き延ばしをやるわけである。
    視聴者は,焦らされるが,何が起こったかわからないうちはチャンネルを変えられない。 この番組に繋ぎ止められることになる。

    「算数の授業」は,この「引き延ばし」ををやる。

    算数の授業の中心は,生徒に課した活動を数学の主題に回収するところである。
    「算数の授業」は,この数学的回収をつぎの理由で先延ばしする。
    • 数学的回収の段に入れば,生徒は授業から脱けていく。
    • 数学的回収をしたら,授業がそれで終わりになる。(「教えたらオシマイ」)
    但し,授業者の認めるところではないが,これは生徒や数学の問題ではなくて,授業者の力量の問題である:
    • 数学的回収の段に入れば,自分の力量では生徒は授業から脱けていく。
    • 数学的回収をしたら,自分の力量では授業がそれで終わりになる。
    • 自分には,そもそも数学的回収の力量がない。

    こうして,「算数の授業」は,回りくどくダラダラした作業を生徒に課すことに腐心し,数学的回収には向かおうとしない。
    また,「回りくどい」は,「意味を外す」に通じる。
    もっとも,「回りくどくダラダラした作業を生徒に課すことに腐心」は,授業者の内ではつぎのように合理化されている:
      子どもの思考に従う
      教え込まない