Up 要 旨  


    授業構築は,やり方を教えてもらったらできる,というものではない。
    教える側からすると,授業構築の要点は伝えることができても,授業構築自体は教えられない。
    そして,教えられる側は,できていないのにできたつもりになってしまう。

    実際,<できていない>がわかるためには,<できる>とはどういうことかがわかっていなければならない。 しかし,<できる>とはどういうことかがわかるとは,<できる>の領域に達しているということである。 ──これは,矛盾である。

    では,ひとは,どうしたら「自分はできていない」と思えるか?

    一つは,「できているつもりだったのが,実はできていなかった」の経験を,十分してきている場合である。 ──このときは,「<できているつもり>をこれまで何度もやってきた。よって,今回もおそらくできてないだろう。」という考え方ができる。

    もう一つは,他の者から「できていない」と言われる/示唆されることによってである。 ──「できているつもりだったのが,実はできていなかった」の経験を積んでいない者 (子ども・初心者) は,この形によって,自分はできていないと思うことになる。

    しかし,ひとは,できているつもりになってしまう。
    <できているつもり>は自足の状態であり,これは,他の者の言う/示唆する「できていない」を受け付けない状態,自分の課題になるものを受け付けない状態である。

    教唆を受け付けない状態であるところの<できているつもり>は,やっかいな状態である。 実際,「モンスター」である。
    周りは「モンスター」には関わらないようにする。 そこで,「モンスター」はずっと「モンスター」のままになる。

    授業構築の知識を得ることは,授業構築ができるようになることではない。 知っているつもり・できているつもりにならないような学習体勢のできていることが,授業構築に取り組む主体の条件になる。