Up ○○したいと思います 作成: 2010-10-21
更新: 2010-10-21


    近頃は,予定・手順を伝える「○○します」を言う場合,「○○します」ではなく「○○したいと思います」の言い方を使うようになっている。 作業を指示する「○○しなさい」も,「○○しなさい」ではなく「○○してもらいたいと思います」の言い方を使う。
    したがって,教師が授業の中で話すことばは,「思います」のオンパレードになる:

      「今日は,分数のかけ算の意味を勉強したいと思います。」
      「前回の授業でやったことを復習したいと思います。」
      「いまからこの問題をやってもらいたいと思います。」
       ‥‥


    教師は,この「思います」をおかしいと思わねばならない。
    どうしてか?
    授業は,教師の思いを進めることではないからである。
    教師は,授業を当為として行う。

      今日分数のかけ算をやるのは,分数のかけ算に入る局面がいまだからである。
      前回の授業でやったことを復習するのは,準備としてこのことをやらねばならないからである。
      生徒に問題を与え作業させるのは,やることがまさにこれだからである。

    教師は,当為をやる。
    それを当為にしているのは,論理である。
    教師は,当為を行うメディアである。
    教師の役割を務めるとは,このメディアに自分がきちんとなることである。

    教師が授業として行うことは,論理から決定される。 授業は,論理的必然を進めることである。 授業は教師の思い (恣意・任意) を進めることではない。
    よって,授業に教師の「思います」はないわけである。