Up 授業設計は,<指導法を考える>ではない 作成: 2008-04-18
更新: 2008-04-18


    学校教員養成課程の学生が初めて「授業設計」を課されるとき,彼らは授業設計を<指導法を考える>という趣で行う。
    すなわち,「興味・関心を惹く」「楽しい」「わかりやすい」授業を考えることが授業づくりだと思う。
    教育実習で小学校低学年にあたると,授業に登場させるクマさん,タヌキさん,‥‥ の絵をいっしょうけんめい描くみたいなことに充実感をもつ。 (そうしてつくったものは,無惨にも2, 3分であきられるのだが。)


    授業は,相手がわかれば成功,わからなければ失敗。
    授業設計では,先ず,相手がわかっていく経過・段階を論理的にとらえる。
    そして,この経過・段階が実現されるよう,授業を理詰めで構成する。
    授業内容を相手にわからせるものは,授業の論理的構成である。
    (クマさん,タヌキさん,‥‥ の登場ではない。)

    つぎに,「論理的に構成した授業を実現するにはどのようなパフォーマンスをしていけばよいか?」と考える。 これが指導法になる。


    授業構成を理詰めで行い,それが出来てつぎに,授業パフォーマンスを考える。
    しかし,授業設計を初めて課された学生は,<授業構成を理詰めで行う>をとばして,ただちに<授業パフォーマンスを考える>にいく。
    なぜか?
    彼らにおいては,つぎのようであるからだ:

    1. 無意識に,授業を「わかっている自分が,わかっていない相手に教える」ことと思っている。
    2. <教える>をプロセスとしてとらえる概念が,まだない。

    ここで「<教える>をプロセスとしてとらえる概念が,まだない」とはどういうことかというと,<教える>を1枚の絵のベタコピーのように思っているということである。


    翻って,学校教員養成課程での学生に対する「授業設計」の指導は,つぎのことの指導である:

    1. 「主題研究」として,授業内容の理解に取り組む。
    2. 「授業設計」として,授業を論理的プロセスとして構成することに取り組む。