Up 授業者の「学力」の意義 作成: 2000-05-15
更新: 2004-11-15


    「授業」は,授業者の「学力」に支えられて実現される。

    「授業」と「学力」の関係のイメージとして,「水に浮かんだ氷」(水面上とくらべ水面下が圧倒的に大きな割合を占める)が使える。──「授業」と「学力」は,「おもてに現れる部分(水面上)」と「おもてに現れない部分(水面下)」のように対応している:

    「学力」が不足していれば,本来あるべき「授業」の実現に至れない:

    少なくとも算数・数学科に関しては,現職教員に学力不足の問題がある。
    ウソが「独創」されている。

    「学力不足の者が行う授業」のイメージは,つぎのようになる──「不足を独創によって埋める」:
    何が「独創」されている?
    ウソが「独創」されている。


    少なくとも算数・数学科の授業に関しては,「学生時代は学力があやしくても,現場に入れば何とかなる」ということは,絶対にない。
    学力のない教師は,ほんとうにめちゃくちゃな授業をしてしまう。
    学力がないので,自分の「めちゃくちゃ」がわからない。

    学生時代は,ひたすら「学力」の向上の努めること。
    その努め方だが,「専門性の向上」に努める。

    専門性じゃない,ジェネラルな力だ!」みたいな言説に惑わされないように。
    「専門性」と「ジェネラルな力」の関係も,「水に浮かんだ氷」のイメージのものになる: