Up 「生徒との距離のとり方」の考え 作成: 2011-02-15
更新: 2011-03-09


    数学の授業における教員のパフォーマンスは,その教員の指導観が現れたものである。
    この違いをとらえるのに有効な指標はないか?と考えるとき,「生徒/相手との距離のとり方」が一つに挙げられる。

    相手に対する「かまう・かまわないようにする」のスタンスにおいて,「かまう」が距離を小さくとるになり,「かまわないようにする」が距離を大きくとるになる。
    「かまわないようにする」には,「かまわないことが相手のため」と「かまうのは危ない」の二つの意味合いがあり,教育の場合はたいていこの二つが重なる。

    「距離」観は,「主体」観と通ずる。
    ひとに対するときは,相手との距離をどうとるかを決めることになる。
    相手との距離をどうとるかとは,相手を「主体」としてどうとらえるかということである。


    算数の授業の場合,「生徒中心」「ひとりひとりを大事に」「多様な考え」を謳う文言をとらえれば,「主体的・自立・自律」を方向性にしているようだが,「距離」で見るときは,距離を小さくすることが方向性になっている。 すなわち,生徒を授業から逃がさないこと・生徒をしっかりかまうことを,指導法にしている。
    実際,小学校教員が「主体的」のことばを使うときは,距離を小さくするベクトルとして考えている。 教員のプログラムの中に入ってくる限りで「主体的」であり,プログラムから離れる相では「主体的」を考えない。 授業中自分の世界に入っている生徒は,授業へ引き戻さねばならない。

    この調子を大学でやると,必ずや授業崩壊・ゼミ崩壊になる。
    大学だと,「主体的」は,距離を大きくするベクトルとして考えるものになる。
    教員のプログラムは,学生がそこから「主体的」に離れる契機であるべく設けられるというのが,本来の形である。 したがって,授業中自分の世界に入っている生徒は,この場合,「主体的」ということになる。