Up 「多様な考え」は,「個人尊重」の話ではない 作成: 2011-03-05
更新: 2011-03-05


    数学教育では,「多様な考え」とはつぎの方法論のことである:
      個の多様性を解発すると多様な考え方・アイデアが出てくることを,知る。
    多様な考え方・アイデアには,自ずと巧拙・優劣があることを,知る。
    巧拙・優劣は両者反照的に知られることを,知る。
    巧・優の方を,成果 (数学) として回収する。

    ところがこれを,「一人ひとりの意見の尊重」「個人尊重」の話にもっていく向きがある。 つまり,「人権・デモクラシー」の話とかぶせてしまうのである。

    「人権・デモクラシー」の話にすると,拙・劣を「拙・劣」だと言って退けることができなくなる。
    実際,教員は,つぎのようにまとめることになる:
     いろいろな考えが出てきてよかったね。
    どれも一つひとつ,すばらしい考えでした。


    数学の授業のこの体(てい)は,数学がイデオロギーによって歪められている体(てい)である。

    数学の授業であれば,つぎのようになる:
      拙・劣を,はっきり「拙・劣」だと言い,そして退ける。
    巧・優を,はっきり「巧・優」だと言い,そして成果として回収する。
    つぎのことを強調する:
      巧・優を知ることは拙・劣を知ることであり,拙・劣を知ることは巧・優を知ることである。
      特に,巧・優は,これだけを教えられてわかることにはならない。