Up 例・反例の使用 作成: 2011-03-03
更新: 2011-03-03


    数学の論述をする者は,論じている対象の像がアタマの中にある。
    この像は,論述の中に描かれない。
    描かないのは,ことばが自ずとこの像を指すことになるというふうに思い込んでいるからだ。 しかも,この思い込みについて無意識でいる。

    実際には,専らこの論述を読むことでは,論者のアタマの中の像は得られない。
    ことばと像の間には,ギャップがある。 それは,次元の違うものの間のギャップである。
    論者は,このギャップを無意識に自分で埋めている。

    数学を授業する者は,「ことばと像の間のギャップ」という事実を,よくよく理解している必要がある。
    これを理解する者は,ことばに像を添えることを忘れない。
    さらに,「どんな像を添えることが必要か?」を考えることへと進んでいく。


    数学ではないが,わかりやすい喩えとして,「昆虫」を教えるのに何を示せばよいか,考えてみよう。
    一つの例で「昆虫」の全てと思わせないために,互いに異なる形態の昆虫を複数用意するだろう。
    これで十分だろうか?
    昆虫と紛れやすいが昆虫ではない生物を,これまた複数用意することになるだろう。

    数学でも,このことが必要になる。
    ことばで記述される概念は,それの例になるものと反例になるものを併せて把持することで,はじめて理解されるようになる。

    ただし,例・反例が使えるようになるのも,経験値の要素が大きい。
    授業では,教員にとってアタリマエで無意識になっているものが,教えねばならない内容になる。 しかし,思い込みになっているものは,取り出せない。
    思い込みは,日々生徒とやりとりする中で,生徒によって壊される。そして意識されるものになる。
    アタマの中に例・反例をもっていて無意識にそれを使っていたことに,ようやく気づく。