Up | 構成主義と距離をおく | 作成: 2017-11-24 更新: 2017-11-24 |
ユークリッド幾何学を教えることは,自ずと「論証指導」になるわけである。 ここで,その「論証」の意味を考えねばならない。 ユークリッド原論の「論証」は,真偽の検証ではなくて,自分が立てた方法論──公理主義──がだいじょうぶかどうかの検証である。 「公理・公準の立て方はこれでいいかな?」を,公理・公準の含意 (演繹が現してくるもの) の妥当性を以てチェックする。 実際そこでは,真偽が自明な命題に,証明が施される。 真偽が自明な命題がなぜ証明されねばならないのか。 真偽が自明な命題の証明こそ,公理主義が試されるところだからである。 実際,ここがクリアされれば,後はほぼだいじょうぶと見なすことができる。 形式主義や構成主義は,公理主義のバリエーションである。 いまの数学は,明示的・非明示的に,構成主義を方法にしている。 構成主義は,これのプロジェクトであった「ブルバキ『数学原論』」に,よく見ることができる。 このプロジェクトは,途中で終わった。 構成主義は,「この先も同様」が確かめられたらそれで十分なものである。 いつまでも構成の厳密主義を続ける意味はない。 (構成の厳密主義の歩みは,数学の前線に辿りつけない。そして,厳密主義は不自由である。) 「論証指導」の「論証」は,構成主義の「論証」ではあり得ない。 あり得ない理由は,単純である。 生徒は,これについて行けない。 構成主義は,<持てる者>がとれるスタンスである。 持ち物を整理するのが,構成主義である。 生徒は,このような者ではない。 生徒は,<持てる者>への途上の者である。 |