Up 「数学的リテラシー」から守る 作成: 2017-11-24
更新: 2017-11-24


    いまの学校数学は,高次目標で導かれるようになっている。
    「数学」ではなく「数学」である。
    そして,「数学」を代表するのが,「数学的○○」──「数学的考え方」「数学的問題解決」ときて,いまは「数学的リテラシー」──である。

    「数学的○○の陶冶」は,成果をずっと先に見込むことになるから,評価を免れる。
    インチキ健康サプリと比較すると叱られるが,責任が伴わないのである。
    そこで,新しい「数学的○○」が現れると,数学教育学はこのテーマでひとしきり盛り上がることになる。


    「数学的○○」は,教材化で苦労する定めにある。
    したがって,盛り上がりに比して学校数学への影響は少ない。
    よって「数学」は,「数学的○○」をある程度無視できた。

    しかし,「数学的リテラシー」の場合は,すこし事情が違ってくる。
    「数学的○○」は教材化で苦労するが,「数学的リテラシー」はこの点でわりと有利なのである。
    それは,「論証指導」をそのまま使えるからである。


    「数学的リテラシー」の「論証指導」は,体系壊しになる。
    どういうことか?

    一般に,「数学的○○」は,<数学=体系>の中では自分を発揮することができない。
    そこで,単発のトピックを教材にする。 (「○畳の部屋の畳の敷き方は何通り?」の類)

    「数学的リテラシー」の「論証指導」の場合だと,単発的な命題を拾ってきてそれの「論証」を論じるふうになる。
    実際これで, 「論証指導」の研究ないし実践になる。
    そして用足しになる命題は,いくらでもある。


    「数学」にとって,これはさすがにまずい事態ということになる。
    「論証」の意味は,体系という文脈があって成り立つものだからである。

    命題は孤立しているのではない。
    命題には「位置・位相」がある。
    「位置・位相」は,体系の中の位置・位相である。
    実際,命題の意味を知るとは,体系の中のその命題の位置・位相を知るということなのである。