Up 数は量の抽象」の歴史的背景 作成: 2011-06-28
更新: 2011-06-30


    「数」の即物論である「数は量の抽象」は,戦後の社会主義ムーブメントをバックグラウンドにもつ。

    この時代は,社会主義に夢がもたれた時代である。
    社会主義が,この時代の「革新」の意味であった。
    今の若い世代には信じられないだろうが,ソ連・中国・北朝鮮が理想社会を実現する国家として持ち上げられる時代だったのである。
    このムーブメントのうちに,学問・教育を社会主義的に組み替えるというのがあった。
    社会主義的とは,マルクス主義的ということである。

    「マルクス主義的」の重要な要素に,「階級闘争」の概念がある。
    歴史学のマルクス主義的組み替えとして,歴史を「階級闘争史」として解釈することが行われた。
    その内容は,当時の『講座日本史』(岩波書店) に見ることができる。

    「マルクス主義的」の重要な要素に,「唯物論」がある。
    学校の「数」の指導が,唯物論的組み替えの標的になった。
    このとき謳われた立場が,「数は量の抽象」である。

    数と量の間をとりもつ「半抽象」として,「タイル」が導入された。
    数の算法はタイルで説明されるところのものであるという考えが広められた。

    実際には,タイルは,唯物論的組み替えの勇み足をはっきりと曝すものになってしまう。
    数は<量の比>の対象化である。 タイルの本質は<量>であるから,これを用いて数を説明しようとすれば,たちまちに論理の破綻をきたす。
    破綻がいちばん見えやすいのが,「数の積」である。
      例えば「((2×3)×4)×5」は,「2倍の3倍の4倍の5倍」がこれの用い方である。 しかしタイルだと,2個,3個,4個,5個のタイルを並べて,「さて,これらに対しどんな操作が起こるべきか?」という話になってしまう。
    そして,無理の上に無理を重ねても,タイルは「分数」へは進めない。

    分数の先にも,数は存在する (正負の数,複素数)。
    タイルを保持するためには,タイルの自明な破綻・限界に目をつぶらねばならない。
    そして実際,この思考停止によって今日までタイルがまもられてきたのである。