Up 概 要  


    学校数学では,「数は量の抽象」である。
    「数は量の抽象」は,数学ではない。
    数学は,「数は量の比」である。
    この「数は量の比」の数学を,第1章で押さえる。

    「数は量の抽象」の論においても,量の比としての数 (「割合」) が現れるのを抑えることはできない。 しかし,「数は量の抽象」の立場では,数は量でなければならないから,「割合」も量に解釈しなければならない。 このときに,「1と見る」をやる。
    「1と見る」は,量の比としての数を抑えるものにはならないが,「数は量の抽象」主義者は「1と見る」でうまくいってると思う。 この思いが壊されずに済んでいるのは,「1と見る」の数学をきちんと考えることをしないからである。
    このことを,第2章で論ずる。

    「数は量の抽象」は,数学ではないが,数学的イデオロギーということは言える。 これは「数は量の抽象」を立てるために,独特な論理を開発する。
    この内容を第3章で論ずる。

    学校数学は,「数は量の比」ではなく,「数は量の抽象」を択った。 「数は量の抽象」の方が正しいように思えたからである。
    数学を捨てて数学でない方を択んだ学校数学は,数学でないものを数学として教えるという無理を行う者になる。
    学校数学が数学であろうとすれば,「数は量の比」を択らねばならない。 しかし現実は,このような動きが起こる力学を欠いている。
    このことを,第4章で論ずる。