Up <形式感覚で立式>の数学 作成: 2012-02-04
更新: 2012-02-16


    学校数学は,文章題に対する数の四則の立式に量の表現が入り込むことを,注意深く排除してきている。 例えば,「2mのひもの3本分は,何mか?」の問題に対しては,「2×3」を立式させ,(学校現場はいざ知らず)「2m ×3」の式は許していない。

    一方,文章題を数の式に還元していく推理のプロセスは,指導内容とされていない。 特に,単位を外して数のみにする推理のプロセスは,指導内容とされていない。
    《問題を見たら,それを裸にした数式を形式感覚で立てる》というふうになっている。
    生徒は,「算数ができる」になるためには,この形式感覚を身につけねばならない。

    <単位を外して数のみにする>は,数学としてなにをやっているのか?
    生徒が自分の形式感覚にしていかねばならないこの数学は,どんな内容なのか?

    量と<量としての数>の間に《単位に1を対応させる》同型を立て,この同型対応を以て,量の側の対象式・関係式を数の側に写す。──これが,その数学である。
    すなわち,つぎのようになる:

    1. 量(系) の<長さ>を,自然数係数で考える:
( (Q, ), ×, (N, +, ×) )

    1. <長さ>と<量としての数>の同型fで, (メートル) に1が対応するものを立てる:

    1. fにおいて,「2m の3倍」には 2×3 が対応する:
  f(「2m」× 3 )
= f( ( × 2 ) × 3)
= f ( × (2 × 3) )
= f( ) × (2 × 3)
= 1 × (2 × 3)
= 2 × 3




    これに対し,数学の「量を数にする=単位を除く」は,どのようになっているか。
    「2×3」の立式は,( (Q, ), ×, (N, +, ×) ) の側で済んでいる:


    実際,量の系の中で倍関係を取り出したとき,それが数の積になっている。
    「2×3」の立式において,( (N, +), ×, (N, +, ×) ) の導入は余計なことである。

    《量の系の内部で数式を現す》──これが数の方法であり,要諦である。
    実際,数がこのように用いられることが,数が<量の係数>として量の系の要素であることの意味なのである。
    翻って,量の系の外に<量としての数>を措き,<量としての数>の中に数式を現すというのは,循環論法であり,無用・無駄のものである。