Up おわりに 作成: 2014-08-01
更新: 2014-08-01


    算数・数学科の授業は,できない。
    できないが,教員は算数・数学科の授業をする。
    これの総合として,「算数・数学科の授業」が現れる。
    「算数・数学科の授業」は,教員個々の新たな授業位置取りの契機になる。
    こうして,教員個々の算数・数学科の授業と「算数・数学科の授業」が,グルグル回る。

    ここから引き出す結論は,「教員は,いまの自分をよしとしてよい」ではない。
    教員は,いまの自分であるより他はない」が,結論である。

    ここで「いまの自分」は,「いまの自分をその都度つくりつくり出すよう定められた存在」をコンテクストとする「いまの自分」である。
    教員は,いまの自分であるより他はない」は,アドバイスでない。
    事実をただ述べたものである。
    教員は,指摘されようとされまいと,「いまの自分をその都度つくり出す」を行う。 「いまの自分をその都度つくり出す」を行うことが,構造的に定まっている。

    「いまの自分をその都度つくり出す」は,「授業ができるようになる」ではない。
    「授業ができる」という様態は,存在しない。
    それはただのことばである。
    (実際,「授業ができるようになる」は,商売のキャッチフレーズである。)