Up | 授業は,何であれ行われる : 要旨 | 作成: 2014-08-03 更新: 2014-08-03 |
一方,授業は,何であれ行われる。 教員は授業するものだからである。 教員は何であれ授業を行う。 その行動は,「自分の授業の位置取りをする行動」である。 「何であれ」は,「位置取りの独自・自由」を意味する。 実際確かに,教員は授業を自分の独自・自由にしている存在である。 「算数・数学科の授業」というものが,どこかにあるのではない。 「算数・数学科の授業」は,「教員は何であれ授業を行う」の総体として現れるものである。 そしてこの「算数・数学科の授業」が,教員個の位置取り行動の契機になる。 教員個の位置取り行動と「算数・数学科の授業」が,グルグル回る。 「「算数・数学科の授業」は,どこかにあるのではない,現成する」ということである。 |