Up | 「伝える=伝わる」にする | 作成: 2013-03-08 更新: 2013-03-09 |
大学は,なぜ講義を授業形態にするところなのか? 理由は,教員の授業力である。 <伝える>は,相手不在でできることであり,授業力を要せず授業の形をつくれる方法である。 大学教員は,授業力の乏しい者として,講義を授業形態にする者でいる。 そして,講義を授業形態とする大学教員は,《伝えることは,その分だけ生徒に伝わること》と思っている者である。 実際には,<伝える>は,生徒を素通りしている。 生徒には何もはいっていない。 どうして《伝えることは,その分だけ生徒に伝わること》になるのか? 生徒を自分のコピーにしているのである。 自分のことは自分に伝わるわけであるから,《伝えることは,その分だけ生徒に伝わること》になる。 《自分自身に伝える》が,大学教員の授業になる 講義は,<わからせる・できるようにする>を行うメディアではない。 <伝える>を行うメディアである。 講義のアウトプットは,学生がつくる「講義ノート」である。 翻って,「講義ノート」を最初から「テクスト」として与えてしまえるとき,授業形態は講義ではない。 「講義」の問題は,<わからせる・できるようにする>を行うメディアではないのに,そのように扱われるということである。 「講義」は,わからない・できない学生をつくる。 同時に,教員に「わかる・できる」を勘違いさせる。 自分の<伝える>を学生の<わかる・できる>とイコールにするというわけである。 そして,自分の<伝える>を生徒の<わかる・できる>とイコールにするとき,《自分が多く伝えれば,その分,学生が多くわかる・できる》になる。 講義を授業形態にしていることで,大学教員は「わかる・できる」がわからない者として居続けることになる。 |