Up | FDの相手は,教員の<自分本位> | 作成: 2009-12-08 更新: 2009-12-08 |
数学教育コースで専門数学をやることの意味をきちんと考えていないと,自分本位をやってしまう。 自分本位のつもりがなくとも,自分本位をやってしまうことになるのである。 専門数学の担当者は,だいたいが<理学部数学専攻 → 大学院数学研究科 → 大学の専門数学担当に就職>と進んできている。 この間,「数学教育コースにおける専門数学の意味」を考えるという面で,鍛えられたことがない。 鍛えられたことがないので,きちんと考えることができない。 一方,当人はきちんと考えているつもりでいる。 「きちんと考えているか?」とひとから言われたら,「きちんと考えている」と返す。 ひじょうに誤解されているのであるが,大学教員のFDの問題は,「学生のことを考えた授業をしていない」「よい授業をしようとしていない」ではない。 大学教員は自分では,学生のことをよく考え,よい授業をしている,と思っている。 特に,専門数学科目を「学校教員の資質・能力として必要になる数学」の授業としてやっていない・できていない場合も,教員には「学校教員の資質・能力として必要になる数学」の自覚がないわけであり,したがって<やっていない・できていない>の自覚もないわけである。 これが,FDの問題の核心である。 自分本位が壊されるためには,先ず,壊されるきっかけに出会わねばならない。 そして,ここが重要な点であるが,きっかけをそれと感受できる自分でなければ,きっかけはきっかけにならず,ただ過ぎ去る。 しかし,「きっかけを感受できない」も「自分本位」のうちである。 堂々巡りというわけだ。 これは,<自分本位>がひじょうに安定したものであることを示している。 FDの課題は,「大学教員のひじょうに安定した<自分本位>は,どうやったら壊せるか?」である。 |