Up 「修行は一事の修業」モデル 作成: 2012-04-21
更新: 2012-04-21


    本論考は,数学とけん玉の対比を,「修行は一事の修業」モデルで行う:

      修行は,一事の修業である。
      ひとが修行するのは一つのことであり,いろいろなことを併行して修業するということはしない。
      ここで「しない」の意味は,「することができない」ないし「したくない」である。

      新しい修業対象をもつとは,これまでの修業をやめるということである。
      これまでの修業をやめるとは,つぎのような思いをもつようになったということである:
      1. 修業として,もうやることがない (やり尽くした感がある)。
      2. 修業に,飽きた。
      3. 修業が,自分の限界にきた。
      4. 修業する意味・価値がない。

    実際には,ひとは大小様々な<不如意>を抱え,それぞれに対し<修業>を行っていることになる。
    しかし,「大事の修業」とするものは一つであるとしてよい。
    本論考は,このレベルの修業として,数学とけん玉を対比しようとする。

      けん玉は「大事の修業」になるのか?
      けん玉は,スポーツの個人種目に通じる。
      重量挙げの修業は,大事の修業である。
      ハンマー投げの修業は,大事の修業である。
      ならば,けん玉は「大事の修業」になる。