Up 「使う」本位 作成: 2012-04-20
更新: 2012-04-20


    学校数学は,ひとがつくる。 反照的に,学校数学が現前する様態は,ひとの能力の程度を表している。

    ひとは,数学の勉強に対する<術の修行>の見方をもっていない。
    ひとの数学に対する見方は,<使えるようになるための勉強>である。

    これは,ひとは<経済性追求>の考え方しかできないということである。
    そしてどうしてこのようになるかというと,<経済性追求>の考え方はやさしく,そしてこれとは違う考え方は難しいからである。


    註 : 学校数学は,自身の意義を「数学的考え方 (mathematical thinking)」「数学的問題解決 (mathematical problem solving)」「数学的リテラシー (mathematical literacy)」のように述べてきた。
    学校数学は,この種の看板を,およそ20年ごとに掛け替えるふうになっている。 「およそ20年」の意味は,一つの看板のライフスパン (「賞味期間」) がおよそ20年だということである。
    新しい看板は,経済効果を生むためのものである。そして,やがて飽きられ,経済効果が落ち込むようになって,その一生を終える。 そしてこれとタイミングをあわせて,新しい看板に差し換える。
    看板が新しくなっても,学校数学の意義の考え方ははずっと同じである。 すなわち,<経済性追求>である。