Up 「<使う>無しの修行」モデル 作成: 2012-04-21
更新: 2012-04-21


    本論考は,数学とけん玉の対比を,「<使う>無しの修行」モデルで行う。

    しかし,数学の勉強は,「<使う>無しの修行」として考え得るのか?
    それは,どのような場合か?

    数学の勉強に「数学を使う」を結びつけるのは,数学の産業の現前をアタリマエの風景にしているためである。
    そこで,数学の産業がない場所を考える。
    砂漠の真ん中でもよいし,哲学の部屋でもよい。
    その場所で,数学の勉強は起こるか?
    起こるとき,それは「<使う>無しの修行」である。
    そして本論考は,「起こる」を立場にしようというわけである。