Up おわりに 作成: 2011-09-05
更新: 2011-09-05


    「何でもあり」論は,あやうい論か?
    数学の勉強は何のため?」の問いに対し「数学を将来使うため」を引っ込めることになり,さらに「数学の勉強」も括弧付きにしなければならなくなるとき,学校数学は
      《「何でもあり」で立ち,そしてこの形で自身の役割を果たしている》
    と見るところとなる。そして,このときの「役割」が「数学の勉強」の意味になる。
    「何でもあり」論は,一定の論理の導くところである。

    「何でもあり」をとるとき,「数学の授業」のことばは,方便で使われていることになる。
    また,「数学の勉強」の意味が,「何でもあり」に通底するもの,「何でもあり」の中で不変であるもの,として求めるものになる。 ──これの論述は,「傾向性/カラダの形成」の論述である。

    こうして,「何でもあり」論は「方便」論に続く。 そして「方便」論は,傾向性/カラダの論述方法を中心課題にするところとなる。