Up 「数学の勉強」の意味は,「形式陶冶」 作成: 2012-09-03
更新: 2012-11-17


    本論考は,「何でもあり」に「数学の勉強」の意味を求めることを立場とした。
    さて,「何でもあり」から導かれる「数学の勉強」の意味は?

    「何でもあり」は,特に「数学である必要はない」である。
    そこで,「数学の勉強」から「数学」を取り去って尚且つ残るものが,「数学の勉強」の意味ということになる。

    「数学の勉強」から「数学」を取り去るとは,「数学の勉強」の意味を「内容フリー」にするということである。
    「内容フリー」でこの先展望し得るものは,「形式」である。
    したがって,「数学の勉強」から「数学」を取り去って尚且つ残るものは,「形式陶冶」である。

    こうして,「何でもあり」から導かれる「数学の勉強」の意味は,「形式陶冶」であるとなった。
    「数学の勉強」は,勉強した内容の風化造形として<形式>を臨む,というものになる。

堆積と風化  
<形式>
「数学の勉強」