Up 論の構成 作成: 2012-11-15
更新: 2012-11-15


    本論考は,つぎのように進行する:
「数学の授業」
     業界 (経済の論理) が攪乱する
  教員 (未熟) が授業する
  成長·「個の多様性」への対応
「何でもあり」が現前
     系の定常均衡
「何でもあり」であるのみ
     意味は,現前に示されている
「数学の授業」の教育の意味は
「何でもあり」に示されている
  
「数学」は,方便
「数学の授業」は,形式陶冶

    すなわち,先ず,「数学の授業」をかぎ括弧付きにする。
    「数学の授業」は,現象として見ていかねばならない。

    つぎに,この「数学の授業」は,いろいろなものが制約要因 (constraints) となることの結果である。
    ここで,業界,教員,そして成長・「個の多様性」の3つが,制約要因として圧倒的に大きい。
    これらが制約要因であることの意味は,それぞれつぎのようになる:
      「業界という経済の論理が攪乱する」
      「教員という未熟が授業する」
      「成長・「個の多様性」への対応」

    「数学の授業」は,これらの制約要因を以て,「何でもあり」を現わすものになる。
    この「何でもあり」を,どうとらえるか?
    これが,本論考のテーマである。

    本論考は,「何でもあり」をそっくり受容する。
    実際,そっくり受容することが,本論考の要諦である。
    ここで,受容のロジックに,「系の定常均衡」を用いる。

    さらに,「意味は現前に示されている」の哲学 (哲学のタイプはプラグマティズム) を,この流れに適用する。
    すなわち,「数学の授業」の教育の意味は「何でもあり」に示されている,とする。

    その意味は,どういうふうになるか。
    「何でもあり」だから,「数学」は方便ということになる。
    そして,「数学の授業」から「数学」をとれば,残るは形式陶冶である。